おこめはいいぞ

全部主観です

年齢

 

職場の20歳の女が何度も何度もめちゃくちゃ年齢マウントとってくるのが最近の1番の苛立ち要素です

 

わたしが誕生日で、みんなにおめでとうって言われてる時に「もう年だから〜」みたいなこと言ってきて本気で腹立ちました

何度注意しても聞かない人間なんで最近は無視してますが腸煮えくり返ってるのはごまかせないようです

たいていのことでは怒らない広めの心の持ち主だと自分では思っているのですが…

難儀ですね

 

そんなことで?って思われるかもしれないですが久しぶりに怒っています、すみません、乱文です

 

そもそも若いのが羨まれるようなことっていう前提がおかしいですよね

人間て年重ねるごとに深みが増して美しくなるものなんじゃないんですか?

20代半ばとかの女の子がもうBBAなんで〜って自虐したり、アイドルは10代じゃなきゃみたいな風潮はさすがにおかしいとずっと思っています

 

未熟なものには未熟なものの良さがあり、それを愛で慈しむという思想には同調できますし尊い愛のひとつだと思いますが、

この国のほとんどの人の考え方が、若くて=未熟でなければいけない、のような領域まで到達しているような気がしてなりません

ロリコン的ですごく気持ちが悪い風潮だと思います

熟したものを愛せない未熟さが浮き彫りになるというか…

最も安い支配であり搾取だと思います

 

それしか誇れるものないのかな

口を開けばわたしハタチなんで〜って、

それを仕事についていけてないことへの言い訳に使っているのも見苦しいなと思うし、

なにより大人になればなるほど何もなくなっちゃう、かわいそうに…

あなたより若い人はいくらでも世の中にいるし

あなたじゃなきゃ駄目なものを探しに行けばいいのに

いつか自分で気付けるといいですよね

 

なんだか性格の悪いことを書きましたが、

わたしは年齢を重ねることはポジティブに捉えています

木の年輪が増えてひとまわり大きくなるみたいに

今のわたしを縦に割ったらどれほどの層になっているんでしょうか

 

わたしの1番の魅力が"若さ"だったことは1度もないです

毎日消耗していく魅力なんて、あっても付加価値くらいでちょうどいい

 

若さ信仰のようなものがこの世から少しでもなくなっていくといいな

取り憑かれてしまうと何も見えなくなってしまうのがなにより怖い、

 

もっともっといろんなものを見知っていろんな経験をして、魅力を深めていきたいな〜

いつかは縄文杉のようなおばあちゃんになるぞ!

 

XXはもっと懐疑的

 

愛がのどに詰まって窒息しそう、おしえて 24歳でも分からないことだらけ

 

水曜日の退勤後

いちばんきつい時においしいものを飲みに行く

視界はぐらぐらしてまるで夢のよう

 

おしえて

会社の人は誰も知らなさそうな

本物のあれこれ

変なことじゃなくてもっと普遍的な

0歳の子でもわかるようなこと

 

頭のかたい大人たち

突き詰めた先のエロを盲信している

そんなもんじゃないでしょもっと単純なはず

1番先に見えてもやがて見えなくなるものなはず

年齢だけで資格が得られるわけじゃない

勝手に選ばれた気になって崇拝しないで

全く馬鹿げている

 

あなたの全てがみえなくて幸せよ

勝手に解釈できるほうが幸せ

 

わたしの脳になにが刻まれているかは知らないけど

充分1人で生きられる

それでも生まれつきのなにかに左右されて

なんとなく、なんとか、生きていく

美徳は勝手に探すから

 

ルートがひとつなだけで論外

わたしに棄てられて可哀想

つまらない生き方しないでね

ヒールの指先 剥がれかけた黒を見て 

余白はなんのために在ったと思う?

 

これならインストールしなけりゃよかったな

ファストだから理解できやしないでしょ

すべてがほしいけどなんにもほしくない

 

留まるロマンスなんて御免だし

かんたんに咀嚼できるわけないじゃーん

それでも充分と言うのなら

溶けきってしまうまでに

おしえて

 

いつか泥になろ、ね、

雑談

 

きょう22時30分に仕事終わりました

えー

なんにも感じなくなってきた自分がいるなあ

 

可愛く見られたい気持ちと引き換えになんとか真面目に出勤できております

大学の時は服決まらなくて1限逃したりしていました

可愛く見られたい人がいるとかそういうのより、また同じ服きてる…みたいに思われるのが嫌だったので…

今はオフィスカジュアルであればいいから、上5着下5着くらいで着回しています 大学生の頃の自分が聞いたら超驚きそう

あと会社の人に可愛く見られたって別にね…かえってめんどそうじゃん…?

という小話でした

 

家帰ったら絶対お風呂すぐ入ろう!と思いながら帰るけど、実際帰ってきたらぐでーんと座ってしばらく動けないのがセオリーなんですいつも

ほんとに座りたい欲に抗えなくて大変です

ひどい時はそのまま寝落ちる…今日こそ気をつよく持たなきゃですね

 

今日の記事はなっがーいTwitterみたいですね

いつもなにかを考察していたりするので、そういう感じ好きなかたには申し訳ないです

今日はよく湯船に浸かってよく寝て明日もちゃんと起きて、そして明日はそんなに仕事量がないことを祈るのみ。!

 

こんなだめな日でもみてくれていてありがとうーー

いつもとても大切におもっています 一人一人ね

 

 

もう狂気がないとなにも成せない時代なのかも知れない。

 

街を歩いているとなんとなくもの悲しいね

しっかり根菜を食べて湯船に浸かったのに、翌日は夏日だったり

冬仕様にしたぽかぽかの体をちょっとだけ恨めしく思ったり

そしたら焼き芋屋さんが通ってやっぱり秋なんだ〜って、

 

なにか成したいけれども狂気というものはそう容易く手に入らない。

 

スーパーではしゃいでる子供が曲がり際おばあさんにぶつかりそうになっていた

謝る子供におばあさんは「いいのよ〜お利口さんね」と声をかけていて最適解すぎてなぜか悔しくなった

そのおばあさんが持っていたものと同じ栗きのこご飯の素をなんとなく買ってみた

こういうのも運命の出会いだったりするかな、

 

そもそも狂気は頑張って手に入れるものではない。

 

あ、

とんぼ。

 

昨日からずっと、考えている。

日曜

 

知らない小学校の校庭で初めて見る遊具を見かけた。

転校するのは好きじゃなかったけど、もう二度と転校生にはなれない。

 

今日は隣の駅の温泉で1日のんびりして、帰りにお気に入りのお店の海鮮丼を食べに行く予定だった。

でも昨日の夜寝付けなくて、明け方までキングオブコントの動画だったりを見返していたから、16時に起きてしまい何もできなかった。

なんとかスーパーに食料を買いに行ったものの、横になりながら明日以降の作り置きおかずを作るか悩んでいる。

こういう時は、だいたい作らないで終わるパターンになる。

資格試験の勉強も結局できなかったな。

 

10月になったのに、卓上カレンダーをめくるのを忘れていた。

好きなキャラクターだったから、今日はいい日だったということにしておこう。

 

ブログの毎日更新を辞めようと思っている。

やりたいことや方向性はなんとなくわかった。

きっとこのアプローチじゃ遠回りだということも。

毎日ブログを更新することは楽しかったしすごく自分の力にもなったけど、そろそろ次のステップに進まなきゃな。

今後毎日更新はしなくなるかも、でもオンライン面接進出の結果が出るまでは頑張ってみます。

 

なにもしなくていいから日曜は素晴らしい。

来週の日曜こそ温泉に行こう。

 

今夜は無理やりにでも早く寝付かないといけないな。

 

KOC

 

空気階段さん優勝おめでとうございます。

 

お笑いを好きになって早何年、賞レースはやっぱり毎年ヒリヒリしますね。

すべての努力が一瞬で昇華する瞬間。

たった何点かの差で、それまでになかった線が引かれ明暗がくっきりと別れてしまいます。

(毎度分母がえげつなく大きいので、決勝に進出している時点で"明"ですが)

ドラマティックで、何度見ても良いです。

 

推しの人生が変わる瞬間をリアルタイムで観測できるコンテンツって意外とないですよね。

 

人を応援していると、こういった人生への影響力がある大きなコンテンツは本当にありがたくて。

お笑いで言うとKOCやM-1グランプリ、アイドルで言うとオーディション番組や総選挙、TIFの出演権争奪など。

わたし自身にとってはミスiDに挑戦できる機会がありがたいので、大事にしています。

 

なにもしないと人生はつまらないですが、どこかに何かに取り組んでいる人は山ほどいて、努力で人生を変えている人も大小問わず沢山いたんだなと気付かされました。

普段は目を向けることも中々ないけれど、こういう他人によるドラマを見る機会は定期的に訪れます。

 

 今日優勝したおふたりは泣いていたなあ。

ああいう時、どんな気持ちになるんだろう。

 

郊外のワンルーム、雷が鳴り響く夜。

なにかのカウントダウンが始まっていることを願って。

 

まろやかな希望

 

夜遅くの電車に乗り込んで、向かいの窓に映る自分をぼうっと眺めている。

 

台風のせいで前髪が乱れてしまった。

好きでもないオフィスカジュアルに、顔のほとんどを被っている白い不織布のマスク。

力を込めなくても、しゃんとした背筋はキープできるようになった。

 

窓の自分に一瞬、目を逸らされた気がした。

 

 

言葉というものは、今まで思っていたよりも遥かに質量が大きいことを日々実感している。

 

毎日ブログで言葉を綴る。

その言葉の一つ一つがわたしの血肉になり、同時にわたしを縛りつける。

毎日わたしの言葉を吸収して、"わたし"が大きく膨れ上がっていく。

 

24年と何日ぶんの言葉は、大きな鋭角の刃にも、相手を包み込む大きな膜にもできるんだ。

わたしの積み重ねを振りかざして人を傷つけること、どれだけグロテスクなんだろう。

そんなこと、したくない。

 

生きとし生ける人間として、言葉を使うことが許されたのなら、希望のために使っていきたい。

綺麗事でも、綺麗なことには違いない。

 

 

電車を降りて、秋風に晒される。

台風はもう去ったみたいだ。

 

わたしは今日も、生きていた。