まろやかな希望
夜遅くの電車に乗り込んで、向かいの窓に映る自分をぼうっと眺めている。
台風のせいで前髪が乱れてしまった。
好きでもないオフィスカジュアルに、顔のほとんどを被っている白い不織布のマスク。
力を込めなくても、しゃんとした背筋はキープできるようになった。
窓の自分に一瞬、目を逸らされた気がした。
言葉というものは、今まで思っていたよりも遥かに質量が大きいことを日々実感している。
毎日ブログで言葉を綴る。
その言葉の一つ一つがわたしの血肉になり、同時にわたしを縛りつける。
毎日わたしの言葉を吸収して、"わたし"が大きく膨れ上がっていく。
24年と何日ぶんの言葉は、大きな鋭角の刃にも、相手を包み込む大きな膜にもできるんだ。
わたしの積み重ねを振りかざして人を傷つけること、どれだけグロテスクなんだろう。
そんなこと、したくない。
生きとし生ける人間として、言葉を使うことが許されたのなら、希望のために使っていきたい。
綺麗事でも、綺麗なことには違いない。
電車を降りて、秋風に晒される。
台風はもう去ったみたいだ。
わたしは今日も、生きていた。