ほどほどの不幸感
人間、自分が本当に幸せだと感じるとなにも悩んだりできなくなるみたいだ。
このブログはわたしの悩みの結晶だ。
毎日思い悩んではなにかをつらつらと書き留めてきた。
外に出ないと、職場に行かないと、わたしに悩みというものは生まれないのかもしれない。
家族や友達などの愛する人に、生まれてきたことを祝われ、感謝されて、わたしの心からいとも簡単に不満が見えなくなった。
わたしは案外単純な人間だと再確認した。
ミスiDのエントリーシートにはこう書いた。
「将来の夢:全てに満足すること」
人生で様々なことを経験し、病院のベッドの上に年老いた姿で横たわり、「もう思い残すことはない」とぼんやり考える。
そういった光景を頭の中で思い浮かべて書いた。
でも、わたしは誕生日が来ただけで全てを満たされたような気持ちでいる。
1日限定の規模に限定すれば、既に将来の夢は叶っているのかもしれない。
まだやりたくてやれてないことは、沢山あるけれど。
やっぱり考えごとをするには、ほどほどの不幸感を持っている方がいいのかもしれない。
歴史上の文豪や芸術家は不幸な境遇の人が多い気がするし。
本当に不幸になったらわたしは生きていけないと思うけど、ある程度の不幸感を持っていないとなにも生み出せない人間になってしまいそうだ。
幸せにはなりたいけれど、なにかを生み出せなくなってしまうのはある種不幸なのかもしれない。
全てに満足するのは、やっぱり人生の最後がいいな。